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田我流 窓際日誌

適当なブログです。

一宮町から見た参院選

今日はちょっと足りない頭を振り絞って、真面目な話をしたいと思います。以前このブログで参院選の投票を促す為に、何か出来ないかという投稿をしました。そして地元で自分の出来る事を始めてみました。まずは何故地元で始めたのかという事からお話したいと思います。

 

僕は前回の三宅洋平さんの選挙フェスをお手伝いさせて頂きました。思い出すのは選挙期間中最後の、渋谷で行われた時の演説の盛り上がりです。渋谷のスクランブルを埋め尽くす程の人が、洋平さんの読み上げる憲法9条に耳を傾けていました。そして今回の参院選がやってきた時、自分は山梨の事が非常に気になりました。

 

RAPをやっていて、いつも思っていたのは、東京と地方との文化的な温度差でした。そしてそれは選挙においても絶対に同じだろうと。そこで実際に街に出て色々な人に会ったり話を聞いたりしてみると、ビックリする程人々は無関心でした。声をかけた多くの人々が政治、そして政治家に対しての諦めを口にしていました。個人で話が出来る中には限りがありますが、僕の印象としては、あまりにも多くの人々が各党のマニフェストや、立候補している議員について特に何も知らないまま投票日を迎えるのだなという印象でした。

 

それはそうだなとも思います。非常に限られた時間でしかテレビでは選挙について知る事ができなく、小選挙区に限っては情報のソースは自分でインターネットで調べる、または地域の新聞でしか知り得る事が出来ません。自分で調べて投票するというのは至極当たり前の事なのですが、やはり流れの早い日々の生活に追われてしまえば、それをしている時間が無い人が思っている以上に多いのも頷けます。ましてや高齢者も多く、情報も少ない山梨のような田舎ではそれは尚更だと思います。

 

また、軽トラに看板をつけて街を流しながら、勉強の為に自民党民進党の演説会にもいってみました。今まで街頭演説しかみたことない自分は、特に自民党の演説会にビックリしました。凄い人の数で会場は埋め尽くされ、土地柄なのか、農家と土建関係者、そして高齢者が多く、組織票の構造を肌で体験する事が出来ました。選挙は勿論戦術ありきで、組織的に戦うのが基本です。しかしそこに巣食う地方の闇が、話を聞いたり、活動し、考えているうちに自分の中でより表面化してきたのも事実です。

 

民主主義国家の選挙とはなんだろうか?そんな疑問が生まれる程の、無関心と諦めからくる投票率の低さ。僕は自民党を支持してはいませんが、それはたんに考えの違いによるもの。それぞれみんなの違いがあるし、それが多様性だと思います。だけども、、

 

もしもみんなが争点とマニフェストをしっかりと考えて投票率も高く、その上で自民党が選挙に勝つのならそれは受け入れます。しかしそれが今の日本にあるとは到底思えない。何も知らない人が多すぎる。これは一人の日本人として、大人として、あまりにも恥ずかしく悲しい事です。

 

EUの離脱、活発化するISのテロ、揺らぐアメリカ、異常気象に環境問題、原発問題、、、山積みの問題と迫り来る危機に、今世界は日本は変革を求められています。そしてこれらの問題をどう解決していくかは、全ての大人が本当は考えなければいけないことです。政治家はあくまで我々の代弁者なのだから。投票率の低さは何も考えていない人間の多さ、未来への諦め、この国の危険度のバロメーターとも受け取れます。

 

日本で選挙制度が始まってからまだ歴史は浅いです。そしてそれに従って国も成長していきました。果たして今日本の民主主義、そして選挙という物は子供に例えるなら一体どんな子に成長しているでしょうか?そして未だ成長過程にある物をこれからどんな風に育てたらいいのでしょうか?

 

 

未来を作り上げるのは我々大人です。まだ時間はあります。もしもあなたが、または身の回りに、家族に選挙に行かない、行っても意味がないという人がいるなら伝えて貰いたいです。よく考えてくれと。未来への責任を放棄してはいけないと。次の世代に託す社会はどうあるべきかを考えて貴重な一票を投じてくれと。

 

少しでも多くの人に考えて貰いたく自分の思っている事を書いてみました。最後に最近よく頭に浮かぶ、キング牧師の言葉を引用させて頂きます。

 

『最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である。』

 

という訳で、長く拙い文でしたが、読んで頂きありがとうございました。あ〜真面目過ぎてつかれたぜ。ガリガリ君でも買いにいこう。